
私は大人になる前、口論で勝てたことがありませんでした。
口論で勝つ方法を知りたがっていましたし、口論が弱い自分がとても嫌でした。
ですが、今となってはそんなこと、何の意味もないことだと思っています。
誰かと激しく言い合いになってしまうと、どっと疲れてしまう。
そんな経験はありませんか?
口論をすると疲弊してしまうのはごく自然なこと、もし口論になってしまったのなら、少し休息を取りましょう。
口論というものは、認識という場所で繰り広げられる、見解という名の剣を使った戦いなのです。
私たちはそれぞれの見解を有していて、口論ではお互い見解をぶつけあい、どちらが正しいのかを力で決めるものなのです。
口論をしていて、本当に相手が憎くなって、なんとかして屈服させてやろう、なんとかやっつけてやろうと思うこともあることでしょう。
しかしながら、たとえ相手を完膚なきまでに叩きのめしたとしても、本当の意味で相手を傷つけることはできません。
口論が始まった瞬間から、それぞれの心に暗雲が影を落とす。後に残るのはその影のみなのです。
そして、口論に勝った者に与えられるのは栄誉でも名誉でもありません。
ただそこにあるのは、疎外感と空しさだけなのです。
あれだけ自分を奮い立たせて戦った先にあるのは、孤独のみ。
それはあまりにも寂しすぎやしませんか?
口論の際、自ら激しい言葉を選び相手を攻撃することで得られるものなど、何もないのです。
むしろ剣を振りかざすごとに、自らを傷つけ、そして心の奥底から発せられる悲痛な叫びすら聞こえなくなっていってしまうのです。
口論に至る時、あなたは怒りの炎に包まれていることでしょう。
怒りにとらわれたあなたの心は、本当は愛と平静を求めています。
自分を認めてほしい、早くこの怒りから解放されたい、と心の底から要望を発しています。
あなたには神から与えられた絶対の愛が心に宿っています。
神があなたのことを必ず認めてくれるのです。
そして、あなたの心に愛の精神が溢れてくることで、今度は他者をあなたの愛で癒すこともできるようになるのです。
口論はマイナスの作用しかもたらさない行為です。
誰も得をしません。
自分の心をより強くして、まだ自分より弱き者を導いてやるのです。
あなたはそのレベルにまで成長するだけの器を持っています。
そして、その器に見合うだけの愛を元々有しているのです。
どんなに見解が違い、どんなにその見解が認められないものだとしても、私たち一人一人の存在はかけがえのないものであり、神の承認を受けてこの地にあるのです。
相手の存在を少しでも受け入れられるようになった時、あなたもあなたに関わる人も皆、幸せを共有出来るようになるはずです。
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